甕器はチルグルッとオジグルッの総称で、チルグルッは釉薬を施さない陶器であり、オジグルッは灰汁の釉薬を施釉した陶器で、狭い意味での甕に該当する。
高麗時代までは釉薬を塗らない陶器が主流だったが、朝鮮時代中期から甕器に当たる粘土を塗った黒褐色の陶器が製作され、朝鮮後期には釉薬を塗った陶器が一般化するようになった。
記録によると高麗時代以前から「甕」と呼ばれる大型の陶器壺が酒·水·醤·塩辛など液体や食べ物を入れたり保存したりする用途で使われたことが分かった。 最近泰安(テアン)の馬島(マド)海域から出土した多量の高麗(コリョ)時代の陶器の壷が水を貯蔵したり、塩辛などを運搬する用途で使われていたことが明らかになった。
朝鮮時代には陶器を作る職人は甕職人と呼ばれたが、『経国大典』の工専工匠によると104人の甕職人が中央官庁14ヶ所に所属し、王室や官庁が必要とする陶器を製作していたことが明らかになった。
甕器を含む陶器は日常的な器であり、王室から民間に至るまで、幅広い階層で使用され、気候や使い方と関連し、地域の特色を現し、発達した。
2002年に京畿道無形文化財に指定されたキム·イルマンは、6代にわたって甕器を作ってきた家柄の出身で、朝鮮後期から受け継がれてきた3期の伝統窯を利用して伝統的な甕器の製作に専念してきた。
2010年に国家指定重要無形文化財第96号甕器場に昇格し、現在はその息子の金成浩と金容浩が伝授者に指定され、京畿道甕器製作の伝統を受け継いでいる。