文禄·慶長の役は1592年5月23日から1598年12月16日までの約7年間、朝鮮と明代日本の間で起きた戦争である。
東アジアにおける韓中日のいずれもが参戦した戦争であり、戦争の主な舞台だった朝鮮のみならず、明や日本にも多大な影響を与え、16世紀~17世紀の東アジアの歴史を揺るがした国際戦だった。
日本の立場からはたとえ「朝鮮征服·大陸進出」という本来の目的は果たせなかった敗戦や、各種人的·物的資源を朝鮮から略奪し、陶磁器製造技術や金属活字の略奪、性理学の流入など文化的利得も得ることになった。
また、7世紀の白江の戦い以来千年ぶりに東アジアの国際情勢において主要プレイヤーとして再登場した。 東アジアで絶対的な覇権国家として君臨してきたが、徐々に衰落していった明の没落の序幕も壬辰倭乱をはじめとする外患だった。
この戦争により朝鮮国土は焦土と化したと言っても過言ではないほどの被害を受けた。
聖雄と崇められる李舜臣はもちろん、各種義兵長に関する伝説も全国各地に多く残っており、現在も語り継がれている。