高麗太祖(コリョ·テジョ、877年1月31日(旧暦1月14日)~ 943年7月4日 (旧暦5月29日)は後三国時代の後高句麗の将軍であり、高麗の初代国王である。
後高句麗を建国した弓裔の武将として後百済の海上要衝地である羅州を占領し、羅州の豪族を全員服属させた。 後百済はその後、戦略戦術にかなりの制約を受けるようになった。
結局、後高句麗の領土は大幅に広がり、あちこちで王建は功労を立てた。 弓裔と号令を許され、最盛期にナンバー2の地位まで上り詰めるなど、寵愛を受けた。
弓裔が暴政により人心を失うと、多くの武将や大臣たちが王建を王に推戴した。 (在位:918年7月25日~943年7月4日)
新羅文武王に続き2番目に韓半島統一国家を成し遂げた指導者で、これにより韓半島の人々が単一国家としてのアイデンティティを持つことになった。